父居らぬ家に目覚めてもう誰も早起きをせず足音も聞こえず

大島史洋『ふくろう』(平成27年、短歌研究社)

歌集から推測される事情は次の通りである。作者の父は九十九歳となり、妻(作者の母)を亡くして、子(作者の兄)の家族と暮らしていたが、衰えて、現在は施設に入っている。作者は兄からの連絡で父の衰弱が進んでいることを知り、帰省する。因みに、作者の郷里は岐阜県中津川市である。

作者は、兄の家族が暮らしている実家に目覚めて、改めて父がこの家にいないことを実感する。まだ元気だった頃、父は朝早く起きていたのであろう。老人が目覚めて活動を始めれば、他の家族も否応なく起きざるを得ない。その頃は作者も、帰省する度に朝早くから家の中の人が活動する物音で目覚めていたのだ。しかし、今は早起きする老人がいないので、兄やその家族も比較的ゆっくりと起きてくる。作者は布団の中で目が覚めているのだが、誰も家族が起きている様子がないので、布団の中で様々なことを考えている。それだけのことを言っているのだが、ここには作者の深い感慨と悲しみが込められている。

掲出歌の少し後にこんな作品がある。

父の死が吾にもたらす煩雑を思いていたり故郷の夜に

親の死は悲しみと同時に様々な煩雑さをもたらす。いずれ必ず訪れる筈のその時は、喪主は兄が努めるのであろうが、弟として助けなければならない。更にその後には、更に煩わしい相続の問題が待ち構えている。掲出歌の時も、そんなことを思っていたのかも知れない。

歌集『ふくろう』は挽歌の多い歌集だった。作者にとって短歌の先輩である金井秋彦、石田比呂志などの死を歌い、司会者の玉置宏の死を歌う作品もある。まるで父の死を迎える心の準備をしているかのような気もする歌集であった。

不甲斐なきおのれを怒る父の声口より出ねど吾にはわかる

食事を終え眠りに入りし父の顔かくまでにして生きねばならぬか

認知症の母が死にたいと言いしときそううまくはゆかぬと言いたる父よ