「さびしい時うさぎは死ぬ」と母言ひき呪文めきたるさびしき言葉

米田靖子『水ぢから』(2009年)

ほんとうは、さびしいから死んでしまう、というわけではないのだろう。
けれど、放っておかれた兎のさびしさが歌の底に流れている。
そんなこの歌は、森厳なさびしさのちいさなかがやきのようだ。

<サビシイ><ウサギ><シヌ>のサ行の連なり。たしかに呪文めいている。
それを母が言った。母は兎の生理だけを伝えたかったわけではないようにおもえた。だからそれを「さびしき言葉」と感じたのだ。
まるで、さびしい母がぼんやり立っているような空間だ。

なにもいっていない歌だけれど、そのなんでもないことこそがほんとうにさびしい。
作者は大和の葛城山に棲み、田を耕し、その霊気を浴びながら生きている。山深い場所での生活は、ひと恋しくなることもあるのではないだろうか。
だからこそ、言葉に敏感になっていく。

あをはたの葛城山に雪降れりゆきの奥より千の言の葉
腰まげて村の翁がゆつくりと畦道行けり久延毘古(くえびこ)のやう

これからやってくる冬。その孤独としずかな哲学をもった生活。
「久延毘古」は、『古事記』に登場する案山子の神さま。
日々の風景を描きだす、気負いない表現がとてもいい。

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