全線をPASMOに託し電車賃という距離感を喪いにけり

佐伯裕子『流れ』(平成25年、短歌研究社)

 ”PASMO”は関東地方の私鉄を中心に使われているICカードの名称である。因みに、この名称は、システムの名前であるパスネットの「パス(PAS)」と、「もっと」の意味の英語、”more”の最初の2字(“MO”)を組み合わせたものだが、命名者は、日本語の係助詞「も」も念頭に置いていたらしい。SUICA等他の交通系ICカードとの互換性や商店での電子マネー機能としても使用可能だからである。

 PASMOのような交通系ICカードはプリペイド方式であり、予めチャージした金額内で、自動的に改札口で引き落とされる。そのために我々は引き落とされる金額を余り気にしない。通常は、残額が引き落とし金額に足りなければ、改札が閉まってしまい、改札内の機械で新たにチャージをしなければ改札を出られない。しかし、オートチャージの設定をしておけば、それすらもない。

 かつては、電車に乗る前に料金表を見て、料金を確認し、切符を買っていた。料金はほぼ距離に比例する。そのために、切符の金額で、目的地までの距離をおおよそ想定していた。しかし、ICカードになってからは、乗車前に予め料金表を見て、目的地までの距離をおおよそ想定するということが少なくなった。作者はそのことを悲しんでいるのである。

 もちろん、距離感を喪ったということ自体が悲しいのではない。距離感の喪失に象徴されるもろもろの人間の感覚、感情が喪われてきていることを深く悲しんでいる。思えば我々は、科学文明の発達によって多くの恩恵を被ってきたが、その恩恵と引き換えに喪っててきたものも少なくない。この作品は現代文明を鋭く批判した一首とも言えよう。

   切りかけのキャベツを置きて彷徨に出でたる春の忘れがたしも

   打ち明けんと幾たびか思いとどまりぬ何処にでもある悲しみなれば

   生きるのは面倒といい三時ごろかならずジョギングに出ていく不思議