佐藤 弓生


はづかしいから振りまはした花のやうに言ひにくいことなんだけど

平井 弘『振りまはした花のやうに』

(2006年、書肆 青雅)

 

 

一昨日にお名前の出た平井弘さんの歌集を出してきました。こちらも花の歌。

歌集名とされたフレーズが印象的な巻頭歌で、春になると口ずさみたくなります。

歌集名については、あとがきに自註があります。「腕白のころ手にするのが恥ずかしくてわざと乱暴に振りまわした花のように、というものである。顔をあげるのはやはり恥ずかしいが、手にした花は振りまわしてでも持っていこう、というのである」。

「顔をあげる」は著者の第一歌集(1961年刊)のタイトルをも指しているわけですが、数十年を経てなおヴィヴィッドに立ちあがる少年性に、不変の歌だましいとでも呼びたい精神を感じます。手もとから散る花びらがスローモーションで見えるようです。

 

掃き寄せてしまへばどうつてことはない落ちてると花首なんだけど

こんなに軽いものだつたつけ散骨のやうなさくらが手を離れるは

おほいぬのふぐりくすくす擽つてふぐりは春のうへに置くもの

菜の花の黄のゆふやみを歩きゐるからだからやや後れてこころ

 

春の花まわりの歌にかぎっても、死や性の感覚がかならず伴っています。つまり、肉体とその有限性の感覚です。しかし、以前の歌集よりは優しくふんわりした口調になっています。

口調とは、書かれた文芸においては文体と同義です。平井さんの歌の読みどころはなにより文体にあります。

冒頭の歌のつよい印象も、恥ずかしさという感情にふさわしい、身をくねらせるような文体あってこそのことです。