三井修


萬葉ゼミいよよすたれて筋よきに狙ひをさだめ拉致するといふ

島田修三『東洋の秋』(ながらみ書房、平成19年)

 このところ、文部科学省が国立大学の文系学部の縮小、再編の方針を打ち出して、議論を呼んでいる。中でもやり玉に挙がっているのが、文学部と教員養成学部のようだ。文学部の中では特に古典文学への風当たりが強いようだ。

 作者は名古屋の私立大学の学長の要職にあるが、専門は万葉集を含む日本の上代文学である。この一首、二句目までは作者の嘆きであろうが、結句の「いふ」があるので、三首目以下は後輩の教員の話を聞いたのであろうか。

 確かに、最近の文学部の学生にとっても万葉集は人気がない。四月にゼミの募集をしても学生が殆ど集まらないのだろう。現在の大学のシステムがよくわからないが、昔で言えば大教室で行う一般教養の講義のようなところで、少しでも関心のありそうな学生を見つけ出し、個別に説得して、万葉集のゼミに誘うという。何とも涙ぐましい努力である。

 万葉集は明治以降に”作られた「国民文学」”であるとの研究もあるが、確かにかつては学生の人気は高かった。しかもそれは文学部の学生に限定されたものではなかった。学徒出陣の際に多くの学生が万葉集やその解説書(例えば、斎藤茂吉の『万葉秀歌』など)を荷物に忍ばせていったというとこからもそれはうかがわれる。

 「狙ひをさだめ」とか「拉致」とか少し物騒な言い回しを使って、戯画的に歌っているのがこの作品の魅力であるが、内容が示すものの意味は大きい。とりあえず社会の役に立ちそうにもないものを極めるのも大学の重要な使命ではないだろうかと思う。実利に偏重した社会は大きな歪を抱えることになるのではないだろうか。

  トンカツの揚げあがらむとする音の軽快なるを聴きつつぞゐる

  端的に敬語もちゐる学生のわが子にあらば頭(かしら)かき撫でむ

  凶状を負ひたるものどち姑息にも寄り添ひ名を変へ銀行はも嘉し