槇 弥生子『ゆめのあとさき』
(2015年、角川学芸出版)
あとがきに14番目の歌集とあり、出版後まもなく著者は他界されました。
享年83とのことで、この歌のような行動はふしぎではないのですが、合理的な考え方と端的なうたい方がかろやかなぶん、読む側にはかえってせつないところです。
端的というのは内容だけでなく、言葉の動きが細かくないということもあります。「あがなはず」までをいっきにうたい、ひと息入れて後半もいっきにという、大きな山ふたつでできた単純さが快く感じられます。
短歌用語でいえば要は「三句切れ」なのですが、句またがり・句割れなどを多用した複雑なリズムをもつ歌も多い現在、このように古典的なしらべに現代語をのせることは案外むずかしくなっているかもしれません。
あしたにも咲かむと思ふ花見れば命切なくなるほどうれし
吐く言葉のすべてが花と散り舞ひてくらむが如き中に逝きたし
思ひ出はひとつひとつに花ありて撫子の原に立ちし人若し
「見れば」「散り舞ひて」「ありて」といずれも動詞+接続助詞で軽く切れる部分があり、その前後はそれぞれ一筆書きのように読めてしまう。そんな大らかな流れをたのしみたい歌風です。
たまたま花の歌が並びました。開花は季節のできごとであり、作者にとって「ダイアリー」と切っても切れない現象だったでしょう。
日記との契約が5年からいわば随時更新に変わったような冒頭の歌ですが、勝手の異なる大学ノートにも、それなりにわくわくなさっていたのではと思います。