三井修


聞きながら胸痛くなるおさなごの泣き声弱まりくればなおさら

久々湊盈子『風羅集』(2012年、砂子屋書房)

 最近、面白い記事を見た。カナダのある生物学者が、野外で鹿の母親に犬、猫、アザラシ、蝙蝠、人間などの赤ん坊の泣き声を聞かせるという実験をしたところ、基本的周波数が鹿の許容範囲内だと、いずれも強く反応したという。結論としては、母親の強い反応を引き起こす赤ん坊の泣き声の特徴は、たとえ種がかけ離れていても哺乳類ではある程度共通しているという。そしてその理由として、自分の子供かとうかを確かめるために行動を遅らせるよりも、間違っていてもとにかく早く反応する方が適応的であるという仮説を上げていた。

 人間同士の場合は種が同じであるだけに、更にこの傾向が強いのであろう。我々男性もそのような面があるが、女性の場合は特に赤ん坊の泣き声に強く反応するようだ。「反応」という言葉を使うと語弊があるかも知れないが、要は感情を強く動かされるのである。まだ言葉や歩行能力を獲得していない段階の赤ん坊が大人に対して発する信号としては泣き声しかない。その信号の理由は幾つあろう。空腹、眠気、寒暖、オムツが濡れた不快感、差し迫った危険等々の状況から大人に守ってもらうために泣くのである。赤ん坊を持つ母親の場合は、自分の赤ん坊の泣き声で、その原因が空腹だとか、オムツだとかが判るようだ。哺乳類の中でも特に社会を営むことに長けるように進化してきた人間では、他人の子供の泣き声にも強く心を動かされるのだと思う。

 この一首、電車の中の一場面であろうか。作者は、赤ん坊の泣き声が聞こえてくると胸が痛くなるという。赤ちゃんはおなかがすいているのではないだろうか、オムツが濡れているのではいだろうかと心配するのだろう。その赤ん坊の声が弱まってくるということは、その不快の状態が改善されたということではなく、むしろ放置されていることを意味する。そのことに作者は一層胸が痛くなるのだ。この場合、優しい感情というよりも、もっと脳の深いところに潜む本能的な衝動のようなものを感じる。下句の字余り、句跨りはあまり気にならない。

   冬瓜を葛にとじたる一椀をよろこびくれし舅(ちち)も亡きなり

   雪催い空(くう)を運びきし路線バスわれを拾いて胴震いせり

   日常のここが切り岸 中央線けさも人身事故にて遅る