佐藤 弓生


前髪を5ミリ切るときやわらかなまぶたを鋏の先に感じる

中家菜津子『うずく、まる』

(2015年、書肆侃侃房)

 

こまかいことながら、「まぶたが鋏の先を感じる」ではない点に立ち止まりました。

文を読むときもっとも具体的な感触をおぼえるのは、目的語ではないでしょうか。主語はこの歌のように省かれることも多いですし、記す場合も助詞「~は」「~が」は略されてもさほど違和感がありませんが、目的語につく「~を」「~に」「~が」を略すとかなり舌足らずになってしまいます。「私あなたが好き」「私はあなた好き」では後者のほうが不自然なように。

つまり作者がつよく感じているのは「まぶた」で、それをどのように感じているかは次につづく語によって変わってくるでしょう。この歌では、刃物を配することでまぶたのうすさ、あやうさが強調されるとともに、読み手は自分が鋏になったような感じをもつことも、あるかもしれません。

読み手がうたい手の身体に寄りそうよう促される、そんなたくみな自己愛に満ちた、いわば与謝野晶子的な歌集であると思いました。

 

はつなつの果実を絞りきるときのちからにゆがむひだりの乳房

 

人間の関係性に拠っていないため、エロティックというより、メカニカルな印象があります。自分の腕の動きが自分の乳房を変形させるという連動の感覚。それが読み手に乗りうつり、読み手が果実を絞るとうたい手の乳房がゆがむ、というふうに伝わることもありえます。

関係が作者の内側にではなく、作者と読者のあいだに生まれる甘美さを求めてやまない心を感じます。