子をいつか困らせぬようアルバムは燃えざるリングのつかぬを選(よ)らん

鈴木英子『月光葬』(平成26年、KADOKAWA)

 ゴミの分別というものは意外と面倒なものである。しかも市区町村によって違うことが多い。それを処理する焼却炉の性能などが市区町村によって違うためであり、その市町村のホームページなどで極めて詳細な分類区分が指定されている。分類区分をきちんと守らないと、焼却炉のトラブルや劣化などに繋がることが多いからである。

 親が亡くなれば子供は遺品の整理をする。親にとっては大切だった写真も、子供にとってはあまり意味を持たない。アルバムなども、その中の必要な数枚の写真だけを外して、あとは全部廃棄することが多いだろう。ところで、アルバムを廃棄するときは「燃えるゴミ」なのだろうか、それとも「燃えないゴミ」なのだろうか。アルバムにも様々な種類があるだろうが、掲出歌の「アルバム」は、多分、厚紙の台紙の上に写真を置き、その上から台紙全体を少し粘着力のある透明なビニール製のシートで覆い、数十枚の台紙を金属製の螺旋型のリングで閉じるタイプのものであろう。このタイプは少し前に一般的だったが、現在では、デジタルカメラやスマートフォンで撮影した写真をパソコンなどで電子的に整理、保存する人が多いようだ。

 上記のようなアルバムを廃棄する時は、本当は金属製のリングを外して、それは「燃えないゴミ」として出し、それ以外の部分は「燃えるゴミ」なのだろうと思うが、螺旋型の硬いリングは外すのが大変である。台紙を引きちぎって外そうとしても、台紙の方も極めて頑丈にできている。遺品の整理をしようとする子供はさぞかし困るであろう。そんなことを思って作者はリングの無いタイプのアルバムを選ぶと言っている。「燃えざる」「つかぬ」という二重否定が切ない。

 しかし、ここで作者が言っていることは単にアルバムだけのことではないように思える。歌集によれば、作者のお子さんは少しハンディを背負ってるようであるが、親が元気な間は親が子供を庇護し、助けることができる。しかし、自分たちがいなくなった後、この子はこの生き難い社会をどのようにして生きていくのだろうか。そう思うと親としてはたまらなく辛い気持ちになる。今のうちに親として出来るだけのことをしておいてやりたいと思うのであろう。ささやかなことではるが、アルバムのリングも確かにその一つなのだ。深刻な内容の歌集であるが、作品はどれも美しく純化されている。

   水に力、確かにあると思いけり泣ききりしのち力生まれき

   タカアシガニが不自由そうに歩くなりわがかりそめはガラスが映す

   生きてゆく機能はこんなにちいさくて備えられおり羽虫、蚊に蠅