金箔の厨子閉ざす夜のはるかより雪しづくする音のきこゆる

櫟原聰『華厳集』(2016年、砂子屋書房

 「厨子」は、仏像、仏舎利、経典、位牌などを中に安置する仏具の一種である。歌集「後記」に「東大寺に関係する学園に六年間を学び、大学を出てからはそこに職を得て、いつしか四十年を閲することとなった。その間、半ばは東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えととものあった」とある。厨子なども比較的身近な存在なのであろう。

 歴史的な作品としては法隆寺の玉虫厨子が有名であるが、これは多分東大寺のどこかにあるのであろう金箔を貼った厨子である。その中の仏像か何かを拝んだ後であろうか。作者は慎みながらその扉を閉ざす。その時に遠くから木の枝に積もっていた雪であろうか、ザザーと落ちる音が聞こえたという。極めて静寂な印象が伝わってくる。

 「金箔の厨子」は紛れもなく眼前の物であるが、「はるかより」聞こえる雪のしずくする音は遠い遠い過去から聞こえてくるような気がする。ひょっとしたら、それは2,500年程前に(諸説があるようだが)釈迦が涅槃に入った時から聞こえてくる音のような気もする。言い換えれば、現在と過去が鋭く交差する一首とも言えよう。

 厨子の金色と雪の白との色彩の強烈なイメージの対比が鮮やかであり、視覚と聴覚の取り合わせもこの場合は成功していると思う。美しくも、淋しい一首である。宗教的というよりも、宇宙的な印象を受ける作品でもある。

    陽がさせば大樹の頭より雪散りぬ火花のごとくきらめきて落ち

    遠き泉の調べ聴きつつ合歓の木の下に眠らむ揺椅子置きて

    失ひし教へ子思ふ幾人か幾十人か思へば苦し