翅ひろげ飛び立つ前の姿なす悲という文字のアシンメトリー

遠藤由季『アシンメトリー』(平成22年、短歌研究社)

 英語の”symnetry”は左右対称である状態を意味し、それに否定の接頭辞”a”が付いた”asymnetry”は「非対称」という意味になる。左右対称は美しく、整合性があるが、非対称は整合性がなく、どこかに歪みがある。もっとも芸術の世界では、その非対称の歪みがが美しいとされることが多いが。

 漢字の「悲」の文字はなるほど「翅をひろげ飛び立つ前の姿」をしているように見える。上の部分の「非」が左右それぞれ三枚の翼を広げた鳥か昆虫の姿に見えるからである、しかも、下の部分に「心」がある。心あるもの、つまり、動物を連想させる。そして「非」の部分は左右対称である。しかし「心」の部分は左右対称ではない。従って、全体として「悲」という文字は左右対称になっていない。即ち、アシンメトリーなのである。漢字の姿を歌った短歌は沢山あるが(例えば、「海」という字の中に「母」がいる、といった発想の歌など)、この一首は、単なる見立てではないことは言うまでもない。

 左右対称でない文字は他にも沢山あるであろうが、作者はその中で敢えて「悲」という文字に注目した。というよりも、この時の作者の目には「悲」という文字以外はあまり心の留まらなかったのかも知れない。細やかすぎる精神を持った男性を愛してしまった悲しみ、それは作者の人生の上で、単に精神的な悲しみのレベルに留まらず、生活の上でも様々な軋みをもたらすようになったようだ。その結果として作者が拘ったのが「悲」という文字の左右非対称性なのだと思う。「飛び立つ」という表現は明るく幸福な未来に向かうことを連想させる。しかし、作者は、飛び立つ前にその文字が対象ではないことに気がついたのだ。幸福な未来へ向かうことの困難と苦しみを思わざるを得ない。「悲」とはそんな文字なのだろう。暗示性の深い作品である。

 作者自身の悲しみから紡ぎ出された作品ではあるが、この世界の生きる全てのものに通じる普遍性を持っているように思える。

    革製のブーツを履きて街をゆく冒険をせぬつま先鋭く

    内なる渦を決して見せまいと震えつつ脱水をする洗濯機とわれ

    裂けそうなわれを縫わむとペルセウス座流星群はちくんと光る