三井 修


セーラー服の身を折り曲げて笑ひあふ少女の時間あをき風ふく

秋山佐和子『星辰』(2013年、砂子屋書房)

 最近の女子高生の制服は実に様々のようだが、セーラー服は依然としてその代名詞の地位を保っているのではないだろうか。女子中学生がその進学先を選ぶ時の基準の一つが制服の可愛いらしさであるという。それにしても、俗に「箸が転んでもおかしい年頃」という言葉があるが、少女たちは本当によく笑う。多分、彼女たちの多くははまだ両親の庇護の下にあり、これからの恋愛、結婚、仕事、等々、あらゆる可能性が開かれており、未来があくまで明るい希望に満ちているからに違いない。本当の意味での挫折や絶望をまだ知ることは少ない。家庭、学校、友人関係が彼女らの世界の全ててあり、それらは基本的に彼女らを保護してくれるところである。従って、何らかの事情でその保護機能に破たんが生じた時に、悲しい結果になったりする。

 掲出歌は、前後の作品から、作者の出身地の山梨でのことと判る。作者は故郷へ帰って来た時に、たまたまセーラー服の身を折り曲げて笑い合っている少女たちを見た。そして自分もまた、かつてはあの少女たちのように、未来への不安はなく、ただただ現在が楽しくて無邪気に笑い合っていたことを思い出す。更にまた、それからのおよそ半世紀の間の自分の人生に思いを馳せる。楽しいこともあっただろうが、悲しいことも沢山あった。特に身近な人の死は悲しい。それにしても、この歌集は様々な死者が歌われている。息子の妻と思われる人、短歌の先輩である盛岡貞香、玉城徹、河野裕子、成瀬有、作者が研究対象としている原阿佐緒、等々。特に母親を喪った孫たちの存在は作者のとっては大きい。孫たちを見るたびに、この子たちのためにこれからも強く生きていかなければならないと思うのだろう。

 結句の「あをき風」が印象的である。古代中国では、四季に色を当てはめ、春は「青」、夏は「朱」、秋は「白」、冬は「玄(黒)」となぞらえた。その中で「青春」は人生の一時期の意味でも使われている。あらゆる可能性が開かれていて、喜びと希望に満ちている春のような人生の季節、未来に対する一抹の不安はあっても、それはまだ心の奥底の潜んでいる。それが「青」なのだ。作者は、身を折り曲げて笑い合っている少女たちを見て、そこに吹いている風の色を青と思った。そしてこれまでの自分の人生の様々なことを思うと同時に、少女らの現在の無垢の青春と明るい未来に限りない祝福を送っているのだ。

    亡き母と暮らしし北の町の名を月あふぎつつ少年の言ふ

    亡き君を偲びて草の上に拾ふ楢の実ひとつ朝じめりせり

    白き花手向けてはやも遠き世のひとりとなすか二十日も経ぬに