佐藤 弓生


やはらかい雨の近づく昼下りクリームパンを柩に入れる

大西久美子『イーハトーブの数式』

(2015年、書肆侃侃房)

 

クリームパン。クリームパン? 二度見してしまいました。

お棺に入れるものとして、たとえば「故人の好きだったお菓子」までは想像がおよぶものの、ふわふわした生ものというのは、いくぶん意表をつかれました。

故人の食習慣をよく知る人ならではの選択といえます。

 

字を知らぬわたしを連れてイトーキのジュニアデスクを選びたる父

ワイシャツを捲つた腕にぶら下がるわたしは大きく実つた糸瓜

 

葬儀を終えてのち去来する思い出。〈大きく実つた糸瓜〉の見立ては、じつに屈託なくしあわせそうな自己像です。

ジュニアデスク、糸瓜、そしてクリームパンなど、昭和以前まで記憶をさかのぼれそうなアイテムを配してなつかしさを醸しだすのがうまい作者だと思います。〈父〉はかつてどんなとき、どんなふうにクリームパンを食べていたのでしょうか。

生前のことはわかりませんが、むしろこれ以降、ちゃんとした食事というよりちょっとしたおやつを手にする日だまりのようなひとときが永遠に父にあれ、という娘らしい願いを感じます。

雨もよいの薄暗い昼に、クリームの色がやさしい光源のよう。

歌集名から察せられるとおり作者は宮沢賢治と同郷で、賢治と同じく文学者のみならず研究者や技術者の顔も持っていることが他の歌からうかがわれますが、次の歌などは、肩書抜きですべての親の子がいつか抱くことになる思いを言い当てているでしょう。

 

喪主となるわたしを思つたことなんてなかつた白い葬祭場で