やわらかく風に靡ける娘のシャツは青葉の庭に花となりたり

   関谷啓子『梨色の日々』(平成23年、六花書林)

 「娘」はルビは振られていないが「むすめ」ではなく、「こ」と読むのであろう。初夏の午後過ぎであろうか。庭に洗濯物が干されている。他の洗濯物もあるのかも知れないが、何となくシャツだけが干されているような印象を受ける。若い娘のシャツであるから、鮮やかな花柄なのだろう。その花柄がそよ風に揺れている。遠目にはまるで花が揺れているように見えるであろう。作者は、それが娘のシャツであることは承知しているのだが、感覚的に、”花になった”と思い切った断定的表現をしている。

歌集では娘の結婚を歌っているので、その子のシャツなのかも知れない。もしそうだとすれば、やがて嫁ぐ子に対する母親の祝福と淋しさが一首の中に込められているような気がする。「青葉の庭」という場面設定もどこか悲しげである。華やかな雰囲気の中にもそれとない淋しさが感じられる。

やがて嫁ぐ娘に対する母親の気持ちは単純な祝福だけではないであろう。あの子に家事ができるのだろうか、末永く夫に愛されるだろうか、たまには実家に帰ってくるだろうか、いつか孫を抱かせてくれるだろうか、等々の沢山の、不安をも含む複雑で微妙な様々の感情があるのであろう。それをこの端的で思い切った描写が巧みに伝えている。短歌とは説明する詩形ではなく、描写の中に感情を織り込む詩形だということをこの一首で痛感する。勿論、そんな背景を知らなくても、この一首だけで十分に美しいが、背景を知って読むとまた深い味わいがあると思う。

 

髪に強くシャワーを流す真っすぐに濃く単純に生きたし夏は

いっせいに空をながれる花ふぶき誰も彼もが突っ立ちており

ビル街を斜めにふかく陽は差せり中世のごと鐘はひびきて