桜吹雪のなかにカメラを翳しいる娘のからだ少し傾ぎて

丸山三枝子『歳月の隙間』(平成24年、角川書店)

 母娘で桜を見物している時に、あまりの見事さに娘がカメラを翳す。翳すという表現からは、ファインダーを覗く昔ながらのフィルムのカメラではなく、モニター画面より少し目を離して画面を確認できるデジタルカメラかスマートフォンのカメラ機能であろうと想像がつく。特に珍しい光景ではないだろう。しかし、作者は、娘の体が傾いていることに気が付いた。娘の方は、ただ見事な満開の桜の枝を撮影しやすい角度にカメラを構えるのだが、それを往々にして体を傾けることになる。

 何にしろ、傾くということには不安定感が伴う。何時倒れるかもしれないという不安感と恐怖感である。勿論、この時娘の体が倒れることはない。しかし、作者の脳裏には、このまま娘の体が倒れてしまうかも知れないという不安感に襲われる。またそれが美しい「桜吹雪のなか」だということが不安感を一層増幅する。目くるめくような繚乱の中の限りない不安感、作者の人一倍繊細な痛々しいほどの感覚がそれを捉えた。

     正面に聳ゆるビルは狼藉者のようにホテルのわが部屋照らす

     ねばねばのモロヘイヤなど食べている もののはずみに老年は来て

     地震(ない)過ぎて春宵ふかし 相づちの拙(まず)さ詰られいるわりなさや