車椅子の旅「一階の左奥‥‥」「二階の右隅‥‥」と検査室めぐる

棗隆『さらば、白き鳥よ』(2013年、本阿弥書店)

 連作の中の一首なので、これだけでは状況が解りにくいかもしれないが、作者は急病の父を救急外来に運び込んだところである。当直の医師が、一目見るなり「入院させよ」と言い放ち、各種の検査が行われている。間質性肺炎、腸閉塞、大動脈瘤などのために呼吸困難に陥っていることが前後の作品から分かる。

 作品の点線の部分は、例えば、採血室、レントゲン室などの名前が入るのであろう。作者としては、ただただ、父を乗せた車椅子を押しながら、指示されるままに幾つかの検査室を巡るしかない。その時の作者にとって大事なことは、「一階奥」、「二階右隅」といった場所であって、そこが如何なる検査をする部屋かということは二の次である。だから、そこは点線で示される。

 初句の「旅」という表現に注意したい。現代のレジャーとしての旅ではない。何らかのやむを得ない事情で行う昔の「旅」である。様々な予測のつかない不安と苦痛と困難が待ち構えている旅なのである。それらの苦痛と困難を克服しながら行きつく先もまた未知の土地なのである。今、作者と父が辿っているのは病院の廊下ではあるが、同時にそれは不安と苦痛と困難の待ち受けている「旅」なのである。

 そして父は数か月の闘病の末に逝去された。この歌集の中で、作者はもう一人の大切な歌の仲間だった成瀬有をも失った。歌集巻末の「この集のすえに」と題したかなり長いあとがきの中で作者は次のように書いている。

 ”歌集題の「白き鳥」の解釈は読者に任せるものだが、多くの方に魂を運ぶ「白き鳥」を連想していただけると思う。それは 成瀬有でもあり、私の父でも大震災で亡くなった方々でもある。また私達の歌誌「白鳥」(これは迢空が大正十一年に創刊した論文誌「白鳥」に由来する名。成瀬有の命名)、さらに成瀬さんの愛したヤマトタケルの伝説、その他、様々な内容も含まれてよいだろう。”

      唸りつつ息する父のこゑひびく〈大晦日〉廊下に人影はなし

      足早に当直の赤き医師が来て父の瞳孔(ひとみ)を診(み)る。時刻告ぐ

      遺影もち挨拶したるわが声を誰かが父に似るとつぶやく