髙瀬一誌『火ダルマ』
(2002年、砂子屋書房)
5777音から成り、第三句の5音が欠落したかっこうです。いま参照している『髙瀬一誌全歌集 新装版』(2015年、六花書林)の帯には「〈定型〉でもなく、〈自由律〉でもない」「唯一の文体がここにある」などとあります。
唯一の文体、髙瀬文体はひとことでは説明できないもので、とりあえず破調と呼ぶほかありません。しかし短歌の型を知悉したうえでの文体ですから、見えない第三句の存在を想像してもよいでしょう。音楽でいう間奏のような。
擬人化された雲は、水が溜まる場所を選ぶと言っています。作者の目には、雲が自分の姿を水たまりや池に映して遊んでいると見えたのでしょう。
あるいはそんな地形を選んで雨を降らせているとも? 雨水がすぐには流れ去らず、しばしとどまっていられるようにと。
雲の姿も、雲が選ぶ場所も、形ということが意識されています。
右手をあげて左手をあげて万歳のかたちになりぬ死んでしまいぬ
藤のはなぶさかたちよけれど かゆいところにはとどかざりけり
〈かたち〉だけでなく、形状とか形態とかいうことばも歌集中に見られます。
〈藤のはなぶさ~〉は正岡子規の〈瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり〉のパロディでしょうか。形が良いものには懐疑的です。
既成の型に書かされるのでなく、一首ごとにふさわしい型を求める姿勢が感じられます。
〈水たまるところ〉を選びつづける雲は、髙瀬さんの自画像なのだろうと思いました。