三井 修


ろうそくの明かりの芯で揺らぐのは人のなかなるけだものの性(さが)

辰巳泰子『いっしょにお茶を』(2012年、沖積舎)

 「けだものの性」とは何だろうか。多分、脳の古い部分が司る食欲、睡眠欲、性欲といった生存の本質にかかわる欲望であろう。名誉欲、出世欲、金銭欲といった欲望は「けだものの性」ではない。それらの性は人間が進化する過程で形成されてきた脳の新しい部分が司どる。けだものが持たずに人間だけがもつ性である。

 作者は、蝋燭の明かりの芯の部分を見ていると「けだものの性」が揺れているのが見えるという。「人のなかなる」と言っているが、「人」はたぶん、最も身近な「人」、即ち、自分自身ではないのだろうか。作者は蝋燭の小さな炎の芯に自分自身の獣性を見ているような気がする。その獣性は小さいけれども美しく、しかも激しく燃焼している。そして、不用意に近づくものを火傷させるのだ。

 この一首を味わっていると、遠い太古の人類の姿が浮かんでくる。洞窟の中の炉の暗い火の傍で、我々の遠い祖先は獣の肉を貪り、異性とまぐわい、それが終わると深い眠りに就いたであろう。まだ、「けだもの」に近い人間のそれらの営みを洞窟の中の暗い炉の火は見守っていたであろう。作者の見ている蝋燭の明かりは、遠い太古の洞窟の中の炉の炎に繋がっているような気がする。それにしても「けだものの性」は哀しい。作者は自己の中の最も哀しい部分を見つめているのだ。

     過ちはいつまで経っても架からない橋の橋杭 言葉が淀む

     レーンに沿って水中歩行ぶつかって他人の愛に火傷しないよう

     烏賊一杯まな板に今宵どこまでも透きとおりたい私がいる