池田行謙『たどり着けない地平線』
(2016年、青磁社)
私事ですが、この歌集の栞文を書かせていただいたさい、文末にこの歌を引用しました。そこでは歌の解釈を書きませんでしたので、こちらで続けてみます。
とはいえ歌意はシンプルで、裏の意味なんてなさそうです。作者は果樹の研究者ということですので、じっさいにレモンの木のそばで果実の色が雨に濡れて鮮やかさを増すさまを観察し、その美を書きとめた。そうした読みでよいと思います。
収穫されていない前提であれば、いわゆるレモン色でなく、まだ緑がかった色かもしれません。
〈檸檬の色になりゆく〉が、たんに濡れて鮮やかになるというだけでなく、熟れてゆくことをあらわしているなら、わりと長い時間を内包する歌ということになります。
別れることは選んだ自分を捨てることもごうとしてももげない果実
濡れてゆく寺院をみつめているきみの髪が外側から濡れてゆく
いつか自壊してゆくだろう世界には塔と呼ばれるものばかり増え
同じ章にこんな歌もあり、全体としては写生より心情寄りの内容です。するとレモンの熟成も恋の成就というより遷移、出会いと別れのリリカルな比喩に見えてきました。
語彙の少なさ、〈檸檬〉のリフレイン、〈ゆっくり〉〈なりゆく〉の音の類似により、歌謡性にすぐれた一首です。
“恋はレモンの木のよう、愛らしいがその実は食べられない”と歌うピーター・ポール&マリーのフォークソング「レモン・トゥリー」の明るく優しいメロディが浮かんでなりません。