佐藤 弓生


はい、恋に捨ててもいいと思[も]ふ命すてずに今も持つてをります

三輪良子『木綿の時間』

(2016年、ながらみ書房)

 

五十五歳の日に飾りたるむらさきの石冷えびえと首を温む

ジャンプ傘ザバッと開き帰りゆく相づちを打ちすぎたる夕べ

 

こんな歌につづいて、冒頭の歌。誰に向けて「はい」と言っているのかなあ、恋の神様に? などと考えつつ、軽快で健気な口調に、まずは魅かれます。

夫や父、母、子どもとその家族などのことがよく出てくる歌集で、とりたてて運命的な恋をしているようすはないのですが、これは夫なり他の人なりが具体的に想定されているというより、自分の気持ちについての歌ととりました。

〈今も〉ですから、若いころも。若いころ、恋愛にまつわる物語や詩歌に触れて、もしくは世間や周囲の人の体験談を見聞きして、恋のために死ねるだろうかと人は一度は自問し空想するものでしょう。

常識的に考えれば死ねません(私は)。でも人間、いざとなったらなにをするかわからない生きものであることもたしかです。

 

青き火に捲かると云はる恋すれば泉下の人の魂に似るらむ  与謝野晶子

 

この歌がおさめられた『夏より秋へ』は晶子が夫を追って渡欧した時期の歌集で、当時としては決死の覚悟があったはず。晶子の恋の歌は「恋をする私」を見つめる自愛の歌でもあります。

三輪さんの掲出歌には晶子作品のような濃さはありませんが、自分の命を〈今も〉いつくしむと述べている点で、少女のようにのびやかな自愛の歌になっています。

すこやかに家族や友人を愛するためには、すこやかな自愛が欠かせません。