原 詩夏至『ワルキューレ』
(2016年、コールサック社)
当たりまえのような、そうでないような。
既存の作品名・人名やサブカルチャー用語などを組み合わせて風刺とも悪夢ともつかない情景を構築するコラージュ的な短歌がつぎつぎ繰り出されるなか、ふと立ち止まった一首です。
AKB総選挙戦死者たちを抱いて夜更けの空ワルキューレ
金目鯛焼けばグリルに目だけ焼け落ちてその目が見るグリル裏
これらの歌がどことなくグロテスクなのは、アイドルや魚の死に言い及ぶ内容もさることながら、いわゆる歌のしらべを切断する句割れ・句またがりの強引なリズムのせいもありそう。
それにくらべて「斎藤さん」の歌は流れがスムーズで、シェイクスピアの戯曲タイトルによる形容もうるわしい。
でも、アイドルが人気ランキング外になることを戦死と称するのが比喩であり、焼き魚の目がグリルの裏側を見るというのが想像であるように、「斎藤さん」の美しさも夢でしかない?
少しだけ、とありますが「斎藤さん」はもともとそんなに美しくないのかも。真夏の夜だけささやかに美しさを帯びるのだとすると、なんともいえない哀愁がただよいます。
人名が「 」で括られているのはどういうことでしょう。斎藤は珍しくはない苗字ですから、平凡さの概念を言いあらわしているとも考えられます。
月一つ死にその胎を切り裂いて躍り出る鋼鉄の新月
無論火事など初めから消す気などなくただ海めざす消防車
つねに現実からの逃走をもくろむ、シュルレアリスティックな歌たちです。