地下デパートのゆき止まりに鸚鵡みじろがず人寄ればわづかに目開けまた閉づ

蒔田さくら子『森見ゆる窓』(1965年・短歌新聞社)

 

破調の歌である。破調を上手くつかうのは難しい。ただの散文になってしまうからである。蒔田は短歌定型を重視する歌人だと思ってきたので、ちょっと注意を引いた。「地下デパートの/ゆき止まりに鸚鵡/みじろがず/人寄ればわづかに/目開けまた閉づ」というように読むと7・9・5・9・7で、第三句と結句が定型にしたがう。破調は、短歌定型にしたがおうとする心性にとっては突起物のようなものだから、抵抗を引きおこす。そこに破調の意味がある。

 

この歌は、破調のために、不本意な場所に身をさらす鸚鵡の無念をくっきりと浮かび上がらせる。リズミカルにできていれば読み過ごしてしまうかもしれない。さらにこの歌は、短歌として読んで違和感がない。作者の中に短歌定型が根付いているからだろう。誰でもがこうなるというものではない。

 

歌われたのは、東京オリンピックから大阪万博へと向かう時代、都市化の進む昭和の東京が背景にひろがる。「目を開けまた閉づ」の詰屈とした思いは都市に潜む人間の思いでもあるかのようだ。

 

花舗に日除け深くおり居ていたはられ暑に耐ふる花が重き香を吐く

血の滲む白衣も肉屋が着て居れば汚点のごとくにて誰もとがめぬ

 

都市の片隅には、深い闇が大きな口をあけている。今日読んで少しも古い感じがない。