俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す

田村元『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店:2012年)


(☜4月7日(金)「人から見た自分 (6)」より続く)

 

◆ 人から見た自分 (7)

 

詩人として歌を詠んでいるのに、会社のなかでは(あるいは社会のなかでも)サラリーマンとしてしか見られない。職場で何があったのかは分からないが、思わず「俺は詩人だバカヤロー」と言いたくなる。
 

しかし、言わない。そして、言えない。
 

カタカナ書きの「バカヤロー」は短歌の中において目で見る分にはユーモラスだが、音として聞くとなるとそんなニュアンスは伝わらず、生々しく響く。それに「詩人です宣言」が加わるとなると、コノ人ハ大丈夫カ、と非常に心配されるに違いない。
 

もし自身が会社の偉い立場であれば「俺は部長だバカヤロー」と怒鳴ることもできるのであろう。例えば、職場の上司の怒りは「夢想」ではなく現実である。
 

やがて上司に怒りが満ちてゆく(さま)を再放送を見るやうに見つ  「窓上広告」

 

なぜこれが「詩人」となると成り立たないのか、考えてみると案外不思議だ。
 

いずれにせよ、「バカヤロー」と言いたい詩人としての自分の瞬間的な沸騰と、それを夢想として冷静にブレーキをかけるサラリーマンとしての自分のせめぎあいは、この歌では後者の勝利のようだ。
 

詩人でありながら、サラリーマンに身をやつして生きるのも疲れるものである。
 

疲れたらチカレタビーと言つてみる春のでんしんばしらに凭れ  「でんしんばしら」

 
 

(☞次回、4月12日(水)「人から見た自分 (8)」へと続く)