妻病みて七年たちぬ非日常が日常となるまでの歳月

桑原正紀『花西行』(2016年・現代短歌社)

 

「人間を信じて未来を祝福したいという思いと、人間の未来に対するぺシミスティックな気分とが葛藤しています」(「あとがき」)と記す作者は、長く教育にたずさわり定年を迎えた。教育者の「葛藤」は、背景に混迷を深める時代状況を思えば根の深いものである。

 

引用歌の「妻」は、脳動脈瘤破裂で一命をとりとめたが、その後、入院生活が続いている。やはり教育の職にあって激務をこなしていた最中のことだった。以来、重篤の妻を歌い、車椅子の妻を歌い、一人の日常を歌い、命のきらめきを歌っている。看病は、すでに10年を越した。生きる者たちへの慈しみと、世界情勢下での不安。両者が複雑に絡み合う胸の内が、静謐な言葉で綴られ、ときに自己客観の目がユーモアを生む。

 

現実には境界線のあるはずもない「日常」「非日常」という抽象概念であるが、わたしたちは日頃、そこに何かはっきりとした区切りがあるかのように感じている。現在を生きるための方便かもしれない。それが、「妻の病」によって逆転した。かつて自身が生きていた「日常」を「非日常」から見る視線が、些事に新しい意味を発見させる。

 

とむらひは儀式にあらず温石をんじやくのごと亡き人を胸に抱くこと

乳母車と擦れ違ふとき幼な子が車椅子の妻をじつと見つめる

亡き人をおもふは辛しされど亡き猫をおもふはたのし何ゆゑ