白きシーツに黒き二つの眼が澄みてしづかに人の瞬きをする

四賀光子『白き湾』(1957年・近藤書店)

 

小題「病閑」の第一首目に置かれている。一連の中に【声立てて翁は笑ふ若き日のおのれきほひし文章よみて】【呼びつけて云はんとしたる言忘れおのがぬか打ちやがて笑ふも】とある「翁」は、夫の太田水穂。看病をしているのである。

 

一読、なんと印象的な一首だろう。病床に横たわっている人物の眼だけが描かれている。クロッキーデッサンのような白と黒の対照が、まるで人が身体を失っているかのような印象を受ける。しかし、言葉になっていないために、病むものの様態をより強く物語っていると思えるのだ。人生の紆余曲折を経てきた二つの眼は、今すべてを洗い流して澄んでいる。「しづかに人の」には、仰臥している人と、それを見ている人との無言の信頼がこもっている。

 

「よかつたなあ」十年再会の喜びをかく素朴なる言葉にていふ

秋の夜の厨の隅に湧く泉燿り透きとほり押上がりやまず

人ゆけば皆一どきにふり向きておでこなるもあり緬羊の顔

 

対象に近づき過ぎもせず、かといって冷淡でもなく、静かに観察して、ねんごろに心を籠めて歌っている。表立てた自己主張はないが、芯が強く包容力に富む。『白き湾』の「巻末記」で、「直観的に素材を把握し、表現を具体化するといふ潮音伝統の方法」といい「伝統的日本的象徴を主義とした潮音」という。水穂亡き後の「潮音」を担った四賀光子である。