二宮冬鳥『青囊集』(1947)
「樣」はもちろん、「様」の旧字体。
年賀状の宛名書きなどを想像すればよい。(このごろは手書きが減ったが。)
筆跡に違いがあることは、だれでも知っている。しかし、ふだんは同じ文字を意識的に比較することはないだろう。
ところが、この作者は、自分宛の郵便物を見て、多くの人が個々のまちまちの筆跡で「冬」とか「鳥」とか「様」とか書いているのが気になったのだ。
中でも、「様」という文字は、だれもが慣れているつもりで、ときに勢いよく、何万回と書いているから、個性が出やすいに違いない。
音声学の観点からすると、「まったく同じ発音は二度とない」ということになっている。
同じ「おはよう」という発声でも、すべて(何億回、何億兆回あろうと)違う、と考える。同じ人物の発声でも、まったく同時なものはありえないから、厳密にはすべて異なる発声とみなされる。
これは、文字にも言えるかもしれない。ほとんど(99.9999・・・・%)同じ形の文字であっても、全く同じ瞬間に書かれる文字は、ひとつもない。
ましてや、違う人が書く文字であるなら、「いたくさまざまに」どころではない。
この世に現れた、ひとつひとつの文字がなんだかとてもありがたいものに思えてきた。