中津 昌子


母語圏外言語状態(エクソフォニー) この美しき響きには強風に立つ銀河が見える

黒瀬珂瀾『空庭』(2009年)

 

エクソフォニーとは、「母語の外に出た状態一般を指す」と、多和田葉子の『エクソフォニー―母語の外へ出る旅』にある。

ところどころ拾い読みしてみる。

 

母語の中だけに留まり続ければ、「夕涼み」などという日本語を聞いて、そこに古風な美しさを感じることもあるだろうが、一度そこから離れてしまえば、この「use済み(ユウスズミ)」という使用済みの言葉の涼しさを無条件に信じることはできなくなっている。言葉がぼこぼこと浮き立って見えてくる。切れ目ではないところで切れ、さりげなく美しいものは一度は壊れてしまうかもしれないし、もう自然な素振りはできなくなるかもしれない。……でも、母語の自然さを信じているようでは言葉と真剣に関わっていることにはならないし、現代文学は成り立たない。

 

ふむ。あるいは、

 

……言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない。母語の外に出てみたのも、複数文化が重なりあった世界を求め続けるのも、その中で、個々の言語が解体し、意味から解放され、消滅するそのぎりぎり手前の状態に行き着きたいと望んでいるからなのかもしれない。

 

 

冒頭のうたでは、強風に吹きつけられながらも、燦然と輝く星々のイメージが強く美しい。

言語ってなんだろう。

このうたを眺めていると、人、ことば、その初めのひろがりが、鳴りわたるような気がする。