大松 達知


知る誰もなかりしあの頃あの気負い今日はだれもがKaz(カズ)とのみ呼ぶ

                         永田和宏『日和』(2009)

 

 一首前の詞書には、

 「国際会議の予稿集に初参加の時の我の写真が載せられて」とあり、

・殴りこみかけるごとくに気負いいし十年前の写真ぞこれは

と、歌がある。

 永田作品のおもしろさのひとつには、科学者として学生に向かったり学会に出たりする時の密かな感懐に触れられることである。

 短歌がなければ、おそらく秘せられたままであっかもしれない、大きな立場に立つ人の気持ち。感情とは無関係にバリバリと働いているような錯覚を覚える、大きな男のハラの中。

 隙の無いように見える公けの顔と、ホンネで呟く短歌の顔のギャップ。ああ、永田和宏でもそんなことを考えるんだな、というおもしろさである。短歌という鏡に対しては、照れがない。

 この歌の段階では、すでに50代の著名な科学者となっていたはずの作者。しかし、新しいグループに参加する時には、「気負い」があるのだ。それをそのまま「気負い」と言っているのがいい。

 そんな気負いが、ファーストネイムで呼び合うまでに溶けている。国内では、ナガタ先生であるはずの権威ある大学教授が、カズというフランクな呼び名で通ることには、ある種、国内にいる風通しのよさを感じているようでもある。

 短歌の顔、国内の顔とは別の、第3の顔と言うべきものが透けて見えてくる。