魚村 晋太郎


やや冷えしブリ大根を熱き飯(いひ)に載せてぞ食うぶ春立つあしたを

島田修三『東洋の秋』(2007年)

子供の頃、新年のことをなぜ新春とか初春とかいうのか、疑問に思ったことがある。
寒いさなかなのに、変だなあ、と思いながら、なんとなくそんなものなのだ、と思っていた。
旧暦では、立春に一番近い新月の日が元日になるので、新年は立春の前後約半月の間に来る。
例えば、今年は1月26日が旧暦の元日にあたり、2月3日が節分で4日が立春である。
まだまだ寒いが、この頃になると、すこし暖かな日があったり、裸木の新芽が膨らんで輪郭がけぶってみえたりして春の予感は感じられる。

ブリ大根は、きっと前の晩のおかずの残りにちがいない。
主人公が遅れて起きてきたためか、朝食のために家族の温めなおしたブリ大根は、すでにすこし冷めてしまった。それを構わず、あつあつのご飯に載せて食べる。

ブリも大根も冬の季語だし、ブリ大根はまさに冬のメニューだが、その料理と立春の取り合わせがなんともよい。これが菜の花だったり、楤の芽だったりしたら、一首の魅力は半減する。
舌で感じる冷たさと熱さに、寒さのなかで感じる春への予感や期待が無意識に反映されているようでもある。

勅撰和歌集の巻頭は立春の歌であるが、もちろん食べ物の歌なんかはない。現代短歌では、春の食材を詠った立春の歌は珍しくはないが、あえてブリ大根を出して来たところが出色である。
都市の生活のなかで季節のうつろいを知り、そのうつろいを愉しむ、作者の表情がありありと感じられる。

森岡貞香さんが、1月30日にお亡くなりになりました。
こころよりご冥福をお祈りいたします。

この連載の1月8日に、江戸雪さんが森岡さんの『白蛾』から一首を引き、
その背景にも踏み込んだうえで、一首への思いをお書きになっています。
https://www.sunagoya.com/tanka/?p=43
ぜひ、もう一度ご覧いただけたらと思います。