大松 達知


不気味なり何仕出(なにしで)かすか分からない無遅刻無欠勤つづける彼の

奥村晃作『鴇色の足』(1988)

ずっと、「彼」は生徒だと思い込んでいた。「無遅刻無欠席」と覚えていた。

抽出するにあたり歌集を見ると、一連のタイトルは「教室の子ら」で、じっさい、他8首のうち5首は教員・生徒関係の歌である。

「無欠勤」となっているのはなぜか。生徒に対しては「無欠席」と言うのが正確なのではないか。でも、皆勤とも精勤とも言われるから、この学校では、(筆者の母校なのだが)、生徒に対しても「欠勤」という言葉を使っていたのかもしれない。

とりあえず、生徒の歌として読む方が、自然であろう。

学校は毎日行ってあたりまえ、という通念がある。

遅刻せず欠席しないのが、目標であり、善である。

しかし、寝坊することもあるし体調不良もある。それが、ふつうの人間である。作者は教員でありながら、学校としての「善」に疑いを持っている。

そのあたりを、逆説的に強く言ったのが、この歌。

「つづける」とあるから、1年、2年間よりも長いイメージだ。ハラハラしながら見守る大人の目線がある。

周囲の要請に応え、自分を許すことを知らずに育った大人は、将来、心身を病むかもしれない。やはり、無遅刻無欠勤はなにかがおかしいのではないか。

いわゆる社会的な善にまっこうから疑いを持ち、その善を押し付ける社会に警鐘を鳴らした歌なのだ。