大松 達知


しづもれる杜が見えつつゆつくりと樹木のなかを過ぎゆく時間

上田三四二『湧井』(1975)

 

 上田三四二は、1923年生、1988年没。驚くほどの多くの病をかかえながらの作歌人生であった。

 この歌が作られたのは結腸癌を病み手術を受けた翌年、44歳になる年である。

 だが、最初の大病の後、という知識と切り離しても、その澄み切った世界観を感じられるだろう。

 

 静かな静かな杜(もり・神社のある木立のイメージ)が全体として見えている。しかし、すこし気持ちを近づけてみると、木々の一本一本が心の中にくっきりと立ってくる。

 社会も、全体を見れば、膨大な数の顔の無い人間の絡み合いにしか見えない。個人個人の重みを忘れる瞬間もあるかもしれない。

 しかし、人間には個々の中に濃くて重い時間が流れている。同様に、樹木にも個々に濃くて重い時間が流れているのだ

 ひっそりとした樹木のかたまりの中の一本一本にじわりじわりと流れている時間。人間と同じ「時間」というものを持っている樹木たち。

 ああ、時間というものはだれにもあるのだなあと思い、ひるがえって、自分のなかをすぎてゆく時間の濃さ重さ、そして淡さ軽さを感じたに違いない。

 この前年に、

・死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きている一日(ひとひ)一日はいづみ

という絶唱がある。

 この年齢ですでに、老成し達観した部分を見せている。すっきりしたゆえに響く歌である。