永田和宏『日和』(2009年)
バケツはどこかにかけてあるのだろう。
それが大きく風に揺れて音をたてる。
音からすると、これは金属製。昔からある、底からしだいに形のひろがったものを連想する。
把手もついていて、それでなおのこと、はなばなしい音をたてる。
この音の荒涼、庭のさむざむとした感じが、「寝ることにする」、この日の気分をつたえる。
ぐあんぐあんを眺めていると、愚案愚案や愚庵愚庵といった文字も浮かんできたりする。愚案を笑う、愚庵を笑う……。 ともあれ、「笑う」という表現や「寝ることにする」なんてわざわざ決めるあたりに、少しの余裕がのぞく。
気分がさえない自分をすこし離れて見る目、こんな日もある、と思える自分があることを感じるのだ。そして、外は風が吹き荒れれば荒れるほど、うすぐらいふとんのなかでの自愛は心地いい。