岩尾淳子


どうしても声のかわりに鹿が出る あぶないっていうだけであぶない

笹井宏之 『ひとさらい』 SS-PROJRCT 2008年

 笹井さんが亡くなったのは1月だけど、所属していた『未来』誌上には4月号まで笹井さんの歌が掲載された。投稿してから掲載されるまでに3ヶ月かかるので、それは、笹井さんが亡くなる前に投稿した作品ということになる。気のせいかその連作に息詰まるような重圧感を感じたのを覚えている。笹井さんにとって、結社は苦しい場所だったかもしれない。そんなこともあり、春がちかづくと、笹井さんのことをつい思い出してしまうのだろう。

 笹井さんの歌は、私性から自由な言葉の純度の高さや、やわらかなポエジーが大きな魅力。でも歌集を読んでいると、よくわからないものもけっこう多くて、おもわず躓いてしまうような感じをうける。あるいは、静かな歌のあいだにすっと差し込まれる暴力性もあり、ただならぬ内面の闇を垣間見てしまう。

 掲出した歌はそれほど分かりにくいわけではない。声のかわりに鹿が出る、というところが奇想のようだけど、よく読めば、それは自分の心と言葉との乖離をいっていることが分かる。言葉ではなく声とすることで、言葉が肉体を帯びているという意識も強い。どちらにしても、何かを表現しようとすると、自分の想定している意味とはまったく異なる表象があらわれる。それを鹿という動物に置き替えるところに笹井さんの卓越した言語感覚がある。しかし、思いはやはり、自己の内面と表現された言葉との違和感から意識は離れない。「あぶない」がリフレインされているけど、二つ目の「あぶない」は位相が移っている。言葉に転換した瞬間に、本来の思いが無化されてしまうことへの警戒感が率直な表現で吐露されている。

 笹井さんはいつも言葉や世界への違和感を抱えながらそれを愛し、傷つけられていたのではないだろうか。その心の振幅がとても大きくて、良い方へ触れれば、世界はとても簡潔でかがやきに満ちていたろうし、苦しいほうに触れた時は自分にとって痛みでしかなかったかもしれない。その痛みが哀しみとなって、透き通るような言葉を紡ぎ出したのか。