星あかりのわずかに届く闇を来てものやわらかな音楽ひとつ

       甲村秀雄 『短歌往来』4月号 第32巻4号 2020年

一読して、ああ、ライトヴァースだなという思いがきた。ここのところライトヴァースについて考えてきたけど、今、これがライトヴァースだと確信できる歌にはなかなか出会えなかった。軽やかで、現実から自由で明るい、それでいて深い詩想を湛えている歌。そんな深化したライトヴァースに出会えないものか。諦めかけていたとき、やっと探していた宝物を掘り当てたという気分で思わず興奮してしまった。

歌を読んでみる。まず主体は闇のなかからゆっくりと現れる。しかしその闇は、わずかに星あかりが届いていると説明されているように、重たさはなくて、どちらかというと星あかりの澄んで清らかな光のほうが印象づけられる。その闇を来た、というのは、おそらく長い時間をかけて、さまざまな道を彷徨してきたというふうにも解釈できる。そして、ようやくその闇をぬけたところに自分を音楽のように祝福してくれる世界が開けている。現実の具象からは離れるが、ほのぼのとした息遣いがあり、美しく、優しいものへの憧れが流れている。

ここには具体的な現実の像は見えてこない。物に接近して描写する方法ではない。どちらかというと、見えないものを言葉によって存在させている。いつかは辿りつくであろう清らかな安息の場所。それは憧れとして詩のなかにだけあるのかもしれない。そのためにこそ言葉を紡ぐ。

あえてこの歌を現実と照応するなら、作者が歌人として歩んできた人生を詠んでいるとも思える。歌壇の主流をしめる写実の方向とは逸れて、自分の歌をもとめて孤独な道を歩んできた。そしていま、ひかりを浴びるように、こんなに簡素な言葉であたたかい詩情を詠っている。それはこころを深く慰藉する〈ものやわらかな音楽〉のようにかろやかで明るい。

 

ビバルディの春はあけぼの花粉へと迂路をゑがいて蜜蜂は飛ぶ