岩尾淳子


海色のききょう咲きたりぽぽぽんと夫の告別より戻り来たれば

迫伊都子 『冬暁』 喜怒哀楽書房 2019年

 

桔梗は秋の七草のひとつだけど、咲き始めるのは6月ころか。海色という初句が夏の気配を呼び出している。風船のように膨らんだ花弁が星型にひらくのは「ぽぽん」という軽やかな音がよく合っている。

この歌では、桔梗が咲いた日は最愛の夫との告別の日であった。その衝撃を知って、もういちど読むと海色の桔梗はまるで、夫の突然の死とひきかえに手渡されたようにも思える。「ぽぽぽんと」のオノマトペが花の開くさまを比喩しているだけでなく、突如として作者の目の前から去っていった人の気配、そして、そのあとにくる作者のおそろしい空虚感を表していたのだと、あらためて気づくことになる。最悪の悲劇に見舞われたときの、感情も思考も凍結してしまった妙なあかるさを歌に読み、その衝撃をこのようなかろやかな言葉にするまでの、何度も問い返された作者の苦しみの歳月を思わざるをえない。

告別の案内板は怖ろしきあの夜の『迫家』は白く浮かべり
悲しみは硝子窓すべる雨滴なりコスモス畑に行かずなりにき
五年ぶりに開いたレシピノートにはパエリアの作り方も書かれて
わたくしを淋しくさせぬというごとく三年越しの白ばら咲きぬ
まなうらに今も拡がる森がある二人の好きなコローの描きたる

 

1首目は告別式の日の記憶が蘇っている。案内板の文字の描写が生々しく、死と直面した恐怖の感情がリアルに伝わってくる。その痛ましい記憶はなんども繰り返されたであろうが、時が流れるにつれて、負の感情の色が少しずつ塗り替えられてゆく。花、料理、絵画、この世を彩るなつかしい事物を取り込むことで、死者との記憶に傷つき、また癒され生きようとする。それは自らを回復してゆく時間。まさに生き残ったものにこそ、死者は必要とされるかのように。

死者を悼み、慟哭し、追慕しつづける悲しみの感情をこれ以上なく丁寧に、こまやかに描き分けている。悲しみというのがこのように豊かなものだったのかと気持ちを揺るがされる思いがした。