岩尾淳子


わたしここで何やってんのと呟けばハイヴァン峠にたなびく霞

梅原ひとみ  『開けば入る』 ながらみ書房 2019年

今の時代、海外で職を得て活躍している女性も増えていることだろう。あとがきによると、作者はベトナムに惹かれ、就職した貿易会社でベトナム担当になり、十数年後にはサイゴンに派遣されそこに住むことになったという。あこがれて自らすすんでいった街とはいえ、慣れない土地に入り込み、たどたどしいベトナム語で交渉をし、物を売り歩くことに並々ならぬ苦労があることは想像にかたくない。

冒頭にあげた歌には、そんな境涯をふりかえったときに心のすき間にふとよぎる、あてどなさやさみしさ、あるいは悔いのような心情がながれていて印象深い。海雲峠は詞書によると、ベトナム中部の峠ですぐ南に大都会のダナンがあり、仕事でよく通ったとある。海雲峠という地名もはるかに思いが馳せてゆくような印象があり、その峠にたなびく霞の情景とともに、上句にありのままに叙述されている素直ではかなげな心情とよく響き合っている。

歌集にはベトナムでの生活やときどきの思いが活写されていて、読む者をひきつけてゆく力のある歌が並んでいる。冒頭にあげた歌が含まれている連には「これ以上大卒女子は要らないと言ひし人より助言をもらふ」といった歌もあり、ジェンダーのもたらすハンディにも晒されている。そこで悔しい思いをしながらも、くやしさに終わらず、前向きに折り合いをつけながら働く一人の職業人としての思いが詠まれ、臨場感のあるこころの動きが生き生きと伝わってくる。「朝の麺を路上の卓に啜る背に今日はじめての汗流れ落つ」といった歌に見るように、素朴な姿勢で、巨大な世界と向き合ってゆく明るさがあり、それが歌の力になっている。また骨格のしっかりした文体を手にしていることが多様な題材をささえて、動かす原動力になっているようだ。

歌集中には、ベトナムの長い戦争の歴史に踏み込んでゆく歌がある。視野の広いのびやかな精神性を感じた。

椰子の葉のひと葉ひと葉の照り返し撃たれる一人一人の末期
数知れぬボートピープル発ちしとふ船大工たちの鋸を挽く街