わがうちに崩壊しゆくものの音聞ゆるごとく窓に月照る

松田さえこ『さるびあ街』(引用は『現代短歌全集 第十三集』筑摩書房、1980年による)

 心が折れる、という表現は女子プロレスの世界から広まった用語のようだが、内側で何かが崩れるような感覚というのは割にありふれたもので、そこに「心が折れる」という具体的で、かつ「折れる」という視覚化しやすい動詞がついたことが言葉を広めたのだと思う。

その意味でいうと、この一首では視覚化がひとつズレを挟んでおこなわれているところが勘所になっている。崩壊はそのまま視覚化されるわけではなく、崩壊するものもその形状がわかりにくい──「折れる」なら棒状のイメージが浮かぶが──「もの」というニュートラルな言葉が選ばれている。そこにひとつ「音」という別の五感をかませたうえで、「ごとく」という直喩を経て窓に照る月という視覚情報に帰ってくる。聴覚と視覚をまぜこぜにすることで、心の内をいわば共感覚的に表現していることが一首の強みであろう。

自分もしばしば心の内でなにかが崩れていくような、重い気持ちになることが少なくはないのだが、そのとき月を眺めていたとしても、その感情が聴覚と視覚というふたつの感覚をまたいで迫ってくることまではなかったように思う。