存在と存在の名はひびきあい棕櫚の葉擦れの内なる棕櫚よ

服部真里子『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房:2018年)

 高校の頃に難解さにひかれて『存在と時間』を買ってしまったせいか、いまだに存在という言葉に弱い。ここではシュロという存在と、シュロ、と響くその名前とが共鳴し合って、それが現実の葉擦れの音に重ね合わされている。

それだけならただのうまい歌なのだが、さらに「葉擦れの内なる棕櫚よ」と書かれることでシュロ、という葉擦れの音のなかにシュロという植物の名が、そしてその存在そのものが含まれていくような、合わせ鏡のように無限に続く入れ子構造の深淵が垣間見えてくらくらさせられる。しかし読後感はあくまで葉擦れの音を聞くようにさわやかで、身辺に充満している存在というものの不思議さを改めて思わされる一首である。