六月の朝のくもりを雀とぶそらより土に土より空へ

玉城徹 『われら地上に』     1978年
「玉城徹全歌集」いりの舎 より

 

リビングで書きものをしていると、鳥の声がよく聞こえる。窓のそばに枇杷の木があて、実がきれいに色づいた。手の届くところを摘みとって、あとは鳥たちへ。今は雀がきている。枝をこまかく揺すっていたかと思うと歓声をあげるように囀りながら飛び去っていく。すずめは落ち着きのない子どもたちみたい。

この歌ではそんな雀の動きがシンプルに描かれていて心にのこる。ちょうど、梅雨にはいった今くらいの季節だろうか。作者は朝から外を歩いているようだ。土とあるから近所の小さな公園に立ち寄ったところか。空は曇っていて朝のひかりは柔らかい。雀たちは群れになって舞い降りて来てしばらく砂遊びをする、そしてなにを思ってか縺れるように空へ舞い上がってゆく。それでもそんなに遠くへはゆかない。せいぜい近くの電線に並んで一休み。そしてまた、好きな場所を移して舞い降りてくる。なんとも無邪気な生きものであること。

この歌でとくに印象にのこるのは、やはり下句の「そらより土に土より空へ」のやわらかなリフレインだろう。雀のうごきを過不足なくとらえてしかも上質な抒情が生まれている。雀たちは、はるかな天上からおりてきて地上にひととき留まり、ふたたび地上をあとにして天上へ帰ってゆく神のみ使いのようだ。地上に縛り付けられてている私たちに対して、雀たちのなんとも自由でのびやかなこと。六月のくもりの朝の静けさのなかに、金の粉をふりまくような雀たちの囀りがきらきらと響くようだ。

作者はそこにしずかな世界の調和を見て、ひととき心を休めているのではなかろうか。それにしても、この雀たちのように、空から土へ、土から空へと、自在に行き来できないものだろうか。それは日常的世界から、非日常の世界へ飛翔することでもあろうし、また天上的世界から、地上的な世界へと舞い降りてくることでもあろう。この往還こそが詩の生まれる場所かもしれない。