岩尾淳子


蝶なりしころの記憶が湧き出でてスティック糊がころんとうごく

有川知津子 『COCOON』16号 2020年

一読して、蝶であった記憶をもっていたのは〈私〉か、と読んだがそれでは辻褄があわない。ああ、違った。スティック糊がかつて蝶だったということか。そう読み替えたとたん、スティック糊が嬉しそうにまたころんと動いた。
このスティック糊はおそらく白いケースに入っていたことだろう。それが、ころんと動く様子を、白い蝶が羽ばたこうとでもしているかのように見立てている。こんな素敵な着想が湧いてくる感覚を想像すると楽しくなる。出来事というにも大げさなほどささいなこと、スティック糊が動いた、というごく単純な、ほとんど気にも留めないようなことから、詩想がひろがり非日常の世界へ連れ出してくれる。詩がこんなに身近にあることをあらためて教えてくれる一首だった。

「コクーン16号」を読んで、印象に残った歌をあげておく。

伊田史織
薄紅の花ひらひらと喉に降るぬるむ風にも水にも傷む

桜を詠った一連の中の一首。この歌では花が喉に降ることで、身体性を孕む気がする。それを下句で「傷む」として受けたところにひりひりした痛みがあり、美しい歌になっている。

大西淳子
こころだけ外出すれば凪ぎわたるウユニ塩湖の鏡面の空

行きたいところへ自由に行けない不自由な日常のなかで、そこに沈み込むのでなく、想念を飛躍させてまことに大きな風通しのいい歌になっている。ウユニ塩湖はボリビアの有名な湖。ほぼ地球の裏側だ。ここまでこころを外出させられる自由な想像力が健康なポエジーを創造している。発想がとても新鮮で心に残った。

河合育子
病者の手病者のもとへ差し出す手ふりしきるさくらの花となる

コロナウイルス禍について詠んでいるのだろうが、それらしい簡便な言葉をさけて丁寧に詠まれている。罹患した方と、その患者を看護し治療する医療従事者との関り合いを〈手〉という簡素な言葉におきかえることで具体化している。そのことで、人と人との関りが美しくイメージをもって立ち上がる。下句の桜とよく響いている。

小島なお
階段に朝の風雨が振り込んで吹き飛ばされたき身体で下る

朝の風雨、という差し出し方にはっとする。今から出勤というときかもしれない。気持ちが折れそうになる。それを「吹き飛ばされたき身体」と、距離をおいて表出することで屈折した内面にじかに触れるような感覚が残る。ここにたしかな〈私〉がいる。