吉田隼人


壜詰の蟻をながしてやる夜の海は沖まで占領下なり

寺山修司『月蝕書簡』(岩波書店、2008年)

未刊歌集として『寺山修司青春歌集』などに収録された『テーブルの上の荒野』では「流してやりし川さむざむとして海に注げり」となっており、『青春歌集』から作歌をはじめた自分としては思い入れがないわけでもないのだが、ここは掲出歌のほうに軍配を上げたい。なにしろ『青春歌集』一冊をお手本に作歌を始めたのだが、出てくる言葉には時代的にもなじみがないものも多かったし、一首として理解できる歌は思えば少なかったようだ。そのわからないなかでは「壜詰の蟻を川に流す」イメージはわかりやすかったのだろう。しかしそれだけだと、少年の孤独さと残酷さがさむざむと心に響いてくるだけに過ぎない。

それはそれで十代の自分には響いたのだろうが、「沖まで占領下なり」と一首を書き換えなくてはならなかった寺山の筆遣いのようなものに今は惹かれる。惹かれる、というよりは、かつて自分が寺山にイカれるきっかけになった「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の一首に重なるような、祖国とか、占領下とか、そうした言葉を軽々と、コートでもまとうように格好良く使ってみせるその手つきに、ここで改めて気付かされたのだと思う。「マッチ擦る」の海のように、「壜詰の蟻」がわかりやすすぎるメタファーになっているのを割り引いたとしても、重い言葉を敢えて軽くしつつ、ふいにナイフのように下句で突き付けてくるその手つきに、今も憧れている。