岩尾淳子


北岸に暮らしていても晴れた日は眉山が見えて窓に呼ばれる

永田愛 「七曜」196号 2020年

 

暮らしている土地の豊かなひろがりと生活の充足感が気持ちよく立ち上がってきた。北岸という言葉の響きに清潔感があっていい。眉山が詠まれているから徳島の清流、吉野川のひろびろとした河口が目に浮かぶ。そしてその向こう岸には、やわらかな稜線が美しい眉山が見わたせる。地方都市ならではの静かな土地への愛着に、暮らしてきた歳月が流れていてふっと心を誘われる。
お国自慢のようだけど、詠いぶりがつつましくて言葉の使い方が清楚。なによりも、川があり、眉山が見える暮らしに幸福な光が差し込んでいるようで、それを衒いなく素直に詠むこころねに癒される。結句の「窓に呼ばれる」には、どこか愛に似た思いが響いていて美しい。

 

「七曜」196号から、印象に残った歌を引く。

微 澄

映画ならもうすぐきみは前を向く映画じゃないから目を閉じている

 

映画で前を向くというのは、傍にいる人物からちょっと気を逸らせようという心理の表出だろうか、でも映画じゃないから、わざとらしいことはせずに君は目を閉じている。ちょっとした二人の間のすれ違いを掬い上げている。きみへの接し方が柔らかくてナイーブ。そういう繊細な心の揺れを、まるでシーソーのようなリフレインで巧みに描き分けているところが印象的。

谷とも子

飛鳥へと下つてしまはうちやうどいい感じの石に腰かけている

 

連作のタイトルに「芋峠」とある。飛鳥から吉野へ越える古い峠。そこを上がってきたのだろうか。吉野へは行かずに飛鳥へ下ることにはたいした意味はありそうにない。ただ気のままに山歩きを楽しんでいる。「ちょうどいい感じの石」にほっとするような体感が伝わってくる。

 

田丸まひる

東京に帰らんとってほしい人ばかり帰っていく蜃気楼

 

なにかの都合で徳島にやってきた人、その人との楽しい交流の時間とやがて訪れる別れの切なさが、生な言葉でぶつけられていてはっと立ち止まった。「東京に帰らんとってほしい」というところに地方に取り残される寂しさや、魅力を放つ東京への悔しさが口語の気取らなさに乗せられていて心にのこる一首。

 

紀野恵

まだ変はる春だよだつてあんなにもするどい木の芽ほどけはじめる

 

そう言われてみれば春って結構長い。3月のはじめには花を咲かせる木もあれば、5月になってようやく芽吹く欅もある。この歌では時間の経過をはかなむのではなくて、あかるく前向きに受容している。それを弾むような韻律で詠い出してからゆっくりと芽吹きの景を描いている、あざやかな歌。