茫然と来りてまなこひきしむる生きいそぐもの蝶のいとなみ

坪野哲久『北の人』(引用は『現代短歌全集 第十三集』筑摩書房、1980年による)

 「存在」と題された連作から。茫然としていたところで、ふと蝶と行き会う。あるいは交尾の最中の蝶だったのかも知れないし、そうでなくとも、生を急ぐように、死が今にもそこに差し迫っているように、蝶は生きている。そして、恐らくはわたしより先に死ぬのだろう。そのさまが、茫然と生きてきたわたしを引き締める。蝶に焦点が合い、眼がきりりとする。

「存在」と題された連作に存在という堅い概念語は出てこない。ただそこに存在するだけということは、ときに人を存在の忘却にいざなう。自分が存在していること、存在とはなんたるかを忘れ、それこそ茫然と日々を送る。それを覚醒させるように、蝶がやってくる。蝶は魂、プシュケーが姿を変えたものともいわれる。差し迫った死を前にしてひらひらと舞う蝶の姿は、蝶の存在は、わたしを自分自身の存在に、自分自身がこの世に生まれ落ちて生きながらえていることに目覚めさせる。わたしもまた、蝶のようにいつかやって来る死を思いながら「生き急ぐ」存在のひとつなのだから。

存在を見つめるわたしのまなざしは、ぎゅっと引き締められる。