大松 達知


ひとりごとつぶやきながら節ぶしのゆるみはじめてゆくにゆだねつ

岡部桂一郎『戸塚閑吟集』(1988)

 

 「某日・蒲田で 三首」と詞書きがあって、

・升本の酒場のすみに今宵おりまず箸おろすいかの塩から

・枡に入れ運ばれきたるコップ酒つややかにして口ひびきけり

がある。掲出歌はそれにつづく歌。

  読むだけで幸せになる歌だ(筆者の場合)。

 なんだかやとややこしいこの時代。それはそれとして、小さな幸せはある。まあ、ノンベエの歌である。

 洗練されたとは言えない街の、おそらく小汚い居酒屋の席に座る。それだけで安堵感と期待感がじわじわと湧いてくる。イカの塩辛でキュッと日本酒をヤル。いきなり枡酒である。

 そのあと、この歌の状態になる。

 自分は自分としてあって、独り言を言う自分を見ている。仕事の愚痴を言ったり、その日あったことへの不満を言ったり、どちらかというとマイナス方向のことを言いがちだ(筆者の場合)。

 それに対して、酒肴のうまさを誉めたたえて、内容のバランスをとっているのだろう。目はつぶっているいるにちがいない。

 独り言を言っているおかしなオヤジを半ば演じつつ、徐々に演技か素なのかわからなくなってくる感覚を、さらに別の自分が楽しむ感覚。

 そうこうしているうちに、体の方にも酔いの感覚が来る。筋肉が弛緩してゆくのだろうか、緊張が解きほぐされているような感覚、あるいは錯覚が来る。

 作者は、そのあたりの時間の推移の楽しみ方を知っている。だから、ゆだねるのである。

 「節」以外はひらがな表記で、のらりくらりとしたリズムでい一首を流しているところも巧みである。

 定型という節ぶしを信じて、あとはゆうらりと遊んでいるような感じがいい一首である。