岩尾淳子


鳥のように木の間を分ける黒揚羽 思い出はもう庭に来ている

山下泉  『海の額と夜の頬』砂子屋書房 2012年

 

7月になって一回り大きくなった黒揚羽が庭に来る日がある。黒いビロードのような輝きを放ちながらゆらりと日差しを裏がえすかのように宙を遊んでいるのを見ると冥府からの使いに誘い込まれるようでちょっと怖い。昆虫の形や色は、どうしてこんなに稀有な姿で生まれて来たのかと思えるほど美しく思えることがある。そのなかでも黒揚羽は特別な気がする。黒いおおきな羽は深い気品があり、近づきがたい闇の領域を統べているかに思えてしまう。

この歌でも「鳥のように木の間を分ける」とあるから、かなり成長した姿で現れたのだろう。もちろん季節は真夏。夏はひかりのイメージが強いけど、陽ざしが強いぶん、影の部分がほかに季節よりもずっと濃いように思う。夏に入り、生い茂る樹々の葉群れを分けるように舞いあそぶ黒揚羽は、まるで海を割るモーセとまではいわないけど、人のかかわりとは違う世界に生きているように神々しい。そして、歌はここから下句にかけて大きく転換している。黒揚羽がまねいたものは思い出。思い出は、過ぎ去った出来事にまつわる記憶であるはずなのに、どうしたわけか時間を先回りするかのように。庭に思い出が来ている。

時間は普通、過去から現在、そして未来に向かって流れていると思うけど、ここでは時間が逆流している。まるで過去に向かって現在があるかのように錯覚されている。錯覚とかいたけど、実はそうでもないかもしれない。これからおこることは誰かによってすでに体験されているのかもしれない。わたしたちは、それを後追いのように生きているだけ。こう考えることは、虚しいようにも思うけど、そうでもない。すべては終わったあとの世界に生きていると考えることは、かえって心が安らぐ。

あるいはまた、ここでの思い出とは死のことかもしれない。死はいつだってわたしたちを先回りして、取りこぼすことはないのだから。そう思うと黒揚羽の美しさがいっそう輝いて見えて来る。しばし眩惑。