思想誌を凶器のごとくあふれしめ書肆に兵士の裔ならびたつ

寺井龍哉「晩冬孤愁」(引用は『本郷短歌』第五号:2016年による)

 東京に来てびっくりしたのは大型書店などでは思想誌と呼ばれるような雑誌をたくさん売っていることだった。田舎にいた頃は存在すらろくに知らなかったその思想雑誌たちを今では当たり前のように買ったり立ち読みしたりしている。しかし思想とは本来とても危険な、恐ろしいものであるはずで、わたしはダイナマイトだと言ったニーチェではないけれど、兵器や凶器がそこに山積みになっているのだと、気付ける人は気付くはずである。

そのことに気付いてか気付かずにか、自分のようにその雑誌たちを手に取る人たちは棚の前に林立している。かれらは思想という武器を手にして戦場を駆けめぐる兵士の末裔なのだ。思想とは殺し合いだ、思想家とは殺し屋だ、とまで言い切る自信はないけれども、ふとサラシの下にドスを呑んでいたとかいなかったとかいう、ある晦渋をもって知られる哲学者のエピソードを思い出したりする。