岩尾 淳子


ワンピースが風に吹き飛ばされないための棒として駅のホームに立てり

高野岬 『海に鳴る骨』 角川書店・2018年

 

駅のホームにたって電車を待つ間、吹き上げてくる強い風にさらされている。薄い生地のワンピースの裾が風にまくり上げられそうになる。裾を押さえながら足を踏ん張って立っていると、まるでワンピースをさらわれないように結わえ付けている一本の棒になったような気分になる。上着とスカートの区切り目のないワンピースという洋服はそもそも着ていて頼りない。力を抜くと体からいつの間にか剥がれてしまいそうだ。強い風にさらされたなら、あっけなく身体をおいて吹き飛ばされてしまいそう。まして、駅のホームという場所がそもそも無防備な場所。絶え間なく出入りする電車、そして乗降してゆく乗客たち。すべての事象が自分の存在となんのかかわりもなく通り過ぎてゆく。そして、自分自身もまた、そのはかない事象のひとつか。

 

安陪公房に「棒になった男」という話があったが、あれは現代の人間疎外が主題だった気がする。こう歌はどうだろう。どうやら主体はワンピースの方であり、自分はそれを守る棒であるというとき、簡素な意志だけがそこに突っ立っているような印象を受ける。様々な属性から離れて一本の棒のような単純な存在のありかた。それはむしろすがすがしいことかもしれない。それにしても一首の背景には、ワンピースもそれを羽織っている主体も、風にさらわれて今にも掻き消えそうに儚い。人を孤独にさせるのが駅のホームという空間かもしれない。

 

この歌集には海の光景がさまざまに変奏されながら美しく細やかに描写されてゆく。主体と一緒に暮らす絵を描くらしい夫、そして飼い犬の姿がときどき行き過ぎるが、それぞれはがれ落ちそうな光のように淡いタッチで描かれていく。しかし、その時間の細部にあらわれる物のほうはくっきりとした輪郭をもって二人の生活空間をささえているように見える。やがて死にゆく存在である命あるものは儚く、あたたかい。そして、それを取り巻く世界はさまざまな色にそまって懐かしい。そんなシンプルな想念がみずみずしい叙情をはらんで詩に昇華しているし、くりだされる多様な文体が読むものを楽しくさせている。

 

君の亡きあとも浜辺を歩くだらうその日も鴎が飛び立つだらう

いづれわれが君を撒くとふ湾は今朝釣り舟多し秋晴れにして

風に乗り犬の鳴き声聞こえ来ぬきっと誰かのかはいい仔犬

ベランダの先の闇へと降り捨てし蛾がひらひらと昇りてゆけり