寝息だけがこの部屋の風 きみの気球はオクサス河を越えたところか

           荒川梢(同人誌「くわしんふう」2019年)

 

暑くて寝苦しい夜が続いている。毎晩、眠るのに疲れてしまうのだけど、この歌に会ってこんなにいい眠りがあるのだなあと羨ましくなった。

オクサス河は中央アジアの大平原を二つに横切る大河。流域では古代から文明が栄えた。ペルシャ語ではアムダリア川というらしい。そんな川の名前が織り込まれることではるかな時空を呼び込んでいる。

歌はただ、傍らで眠っている「きみ」の寝息を読んでいるだけ。静かで安らかな寝息は、まるでやさしい風のよう。傍らの「きみ」は眠りの気球のなか、気持ちのいい風に流されてユーラシアの草原へ。今頃は大陸を横断してはるかオクサス河を越えたころか。安らかな寝息をとおしてたのしく想念をあそばせている。しずかな夜の時間が祝福されているかのように美しい。

 

佐藤理奈子

半そでをさらに捲って出す腕の夏の野菜のよう、あの子たち

 

夏の陽にかがやく健康的な腕がぴかぴかと輝いている。「半袖をさらに捲くって」との観察は鋭くて、生気が充溢している。その腕をさらに「夏野菜のよう」とシンプルな比喩でくるむことで健康的なポエジーが弾けるように香っている。結句の「あの子たち」のおさめ方にも動きがあっていい感じ。

 

染野太朗

かぎりなくふあんにちかいあんしんをマクドにならぶぎやうれつに見き

 

一読ちょっとわからないんだけど、平仮名に書き散らされた一行に不安と安心の混沌を見るようでつい立ち止まった。ほんとうに手に入るのだろうか、という不安、そして、ここに並んでいればいつかは手に入るはずという安心、その矛盾した心理をそのまま形にしたら行列になるのかもしれない。そう思うと、生きているって、先が見えない行列に似ているかもしれないな。

 

北山あさひ

「北川」と間違われても振り返るたいせつなのは「北」なのだから

 

一読、くすっと笑ってしまった。大切なのは「北」だと、自分の中の核心だけは心得ていること。そしてあとは流すこと。こういう受容力があるっていい。生きているのが楽しそうに見えるのは素敵なこと。

あと、印象に残った歌を挙げます。

 

立花開

猫用のおむつは新生児のそれと同じで生も死もおなじ場所

 

久納美輝

われを見よと通知うるさくOFFにする自意識強きひとから順に

 

山田ゆき

「店長が不在になります」そうだよね 春だもんねで何でも済ます

 

田口綾子

陽ののぼりしづむこの日に君の子をみごもるをみなひとりゐること