大松 達知


白抜きの文字のごとあれしんしんと新緑をゆく我のこれから

安藤美保『水の粒子』(1992)

 

 「我のこれから」はもちろんだれにでもある。

 だが、「新緑」を人生の時期に重ねることは自然だ。

 これから人生の新緑の時期、すなわち青春期を通り抜けようとするとき、それを「白抜きの文字」のようにあれ、と願う気持ちは何だろう。

 

 現代短歌は数多くの比喩を生みだし続けている。ただ、それが作者の生活や人生に寄り添うものでないと説得力をもたない。比喩を創造するだけならばただの言語技術屋に過ぎないのだ。

 

 白抜きの文字、それはそれ自身が空白であり、周りの部分に囲まれながらも、しっかりとその空白を保っている存在であろう。

 つまり、作者の願いとは、世間や世界にすっぽりと取り囲まれながら、自分の真っ白でまっさらな心は保ってゆきたいと願いであろう。

 空白は空白として、どんな色にも染まらない自分でありたいという願いである。

 

 理屈っぽい解釈になった。

 作者は1967年生まれ。20歳で「心の花」を出詠しはじめ、24歳で事故死された。

 これだけの清新な抒情を詠んだ作者。この歌を読むとさらに残念でならない。