永井 祐


このビルはカラオケになる私なら歌うためのビルそう思って建てる

斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』

 

建設中のビルに通りかかる。
どうやらカラオケになるらしい。
そしてこの歌は三句が面白くて「私なら」とくる。
あなたはそうしている。私なら・・。
むしろ論理的な展開な気もしますが、変わった方向に話が向く。
そして下句は「建てる」上での精神論みたいなことを言っている。
だいぶ面白いですね。

たしかにカラオケってけっこうビルごとカラオケだったりする。
あれは考えると不思議なもので、「歌うためのビル」なんてものがあること自体が奇妙な気がする。
そういう違和感とか不思議さはこの歌から感じられる気がします。全階に居酒屋が入る「食べるためのビル」だと短歌にならないのかもしれない。
思えば「歌う」って不思議なこと。食べるはともかく、なんで人が歌うのかはよくわからない。でも人類は「歌うためのビル」を建てる・・・。そういう思惟は歌から感じられる気がします。
カラオケだと思って建てるより一歩踏み込む。わりと心をこめて建てるのかなとわたしは思いました。

この歌がいいなと思うのは、とりわけ下句に体重が乗っている感じがするところです。
四句・結句が8音・9音で字余りになってくる。そして「~ビル」で句の切れ目とともに一度閉じてから指示詞「そう」を使って、重ねるように思いを述べる。ここのところの呼吸から本気感が伝わる。
本気で言われることによって、わたしは何かこの歌で笑ってしまいます。言ってることちょっと変な気がするから。

歌集だとこの少し前にこんな歌があったりします。

 

わたしが建てる日暮里駅の階段のどこで手すりを終わらせましょう 

 

「建てる」とか設計目線で街を見ていることがわかる。

ところでカラオケのビルを新しく建てるようなことって、今はあまりないのかもしれないですね。今日の歌は2011年の歌。歌集では年ごとに1ページ使ってしっかり記された、かっちりとした編年体になっています。

制作順に並べただけでも編年体と言ったりしますが、たぶん本当の編年体って年をはっきり記すもので、それは個人の時間とともに、むしろそれ以上に社会の時間に力点を置くものなのかと思います。